Research & Education of Psychology
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想起の形式に現れる体験の質
Mori(2008)は足利事件の分析に触発されて、コントロールされた条件下で様々な想起を比較し、スキーマアプローチの妥当性を実証的に裏付ける必要性を感じていた。彼は、同一人物に質の異なる2種の体験を所有させ、体験質の差異が想起の形式によって区別できることを示そうとした。2種の異なる体験とは、環境と当人がコンタクトした直接体験と、他者の直接体験を伝聞した伝聞体験である。足利事件のS氏の語りの文体上の差異が、彼の環境への接触の有無を反映しているのではないかと考え、行なわれた実験である。
6-1. 方法
本実験はナビゲーション段階、話し合い段階、尋問段階の3段階からなっている。
実験場所
ナビゲーションはA大学、B大学のいずれかで、話し合いと尋問はC大学で行なわれた。すべて札幌近郊の大学である。A、B大学は、敷地面積、建造物数において、さほど違いはない。被験者は各々の大学構内で7つのターゲットを見つけるよう要請された。ナビゲーションで探査される7地点は、大学構内に散在するように、また両大学で類似の施設が選ばれた(図書館入口、生協売店、食堂、実験実習室、掲示板など)。
被験者
被験者は4人(男性2名、女性2名)のC大学の学部学生で、認知心理学関係の授業で協力を依頼された。採用の際、A、B大学いずれにも行った経験のないことが確認された。
尋問者
尋問担当者として、C大学で心理学を専攻する大学院生2名に協力を依頼した。両名ともA、B大学について何も知らないことが確認された。
記録係
A大学の学部学生2名(いずれも女性)が記録係として採用された。彼女らは、ナビゲーション段階で被験者の行動のビデオ撮影を行なう。
実験への協力者はすべて自発的な協力者であり、報酬を支払われている。
手続き
実験の手続き全体を図6-1に示した。
Mori(2008)は足利事件の分析に触発されて、コントロールされた条件下で様々な想起を比較し、スキーマアプローチの妥当性を実証的に裏付ける必要性を感じていた。彼は、同一人物に質の異なる2種の体験を所有させ、体験質の差異が想起の形式によって区別できることを示そうとした。2種の異なる体験とは、環境と当人がコンタクトした直接体験と、他者の直接体験を伝聞した伝聞体験である。足利事件のS氏の語りの文体上の差異が、彼の環境への接触の有無を反映しているのではないかと考え、行なわれた実験である。
手続き
実験の手続き全体を図6-1に示した。
被験者 Y 被験者 O
Stage 1
ナビゲーション段階 A大学のナビゲーション B大学のナビゲーション
Stage 2
(約1か月後)
話し合い段階 C大学で、互いのナビゲーション体験を教え合う
Stage 3
(約2週間後)
尋問段階 Yは自身のナビゲーション体験とOからの伝聞体験を、
「尋問者」Pに聴取される
図 6-1 手続きの概略
Stage 1 ナビゲーション段階
女性被験者Yと男性被験者TはA大学の、男性被験者Oと女性被験者KはB大学のナビゲーションを行なった。すべて個人実験である。各大学の正門で、被験者は探すべき7つの場所と順序が書かれたカードを配布された。どちらの大学でも正門から出発し、大学内の7つの施設を指定された順序で探し、再度正門に戻ってくることが課題であった。人に尋ねる以外のあらゆる手がかりの参照が許可された。ナビゲーション中の被験者の言動は、被験者の許可を得た上で、すべて録画された。実験者と記録者は探査に干渉しないよう、被験者の背後を追跡した。ナビゲーション後、実験が終了したことと、他の被験者とナビゲーションについて話さないことが伝えられた。次の段階以降のことは、まったく伝えられなかった。
Stage 2 話し合い段階
ナビゲーション段階の約2週間後、4人の被験者は2人ずつ(YとO、KとTがペアにされた)、予期せずC大学に招集され、以下のことを告げられた。第一に、このあとの尋問段階で「尋問者」がふたつの大学での体験を尋ねてくること。第二に、尋問者に対しては、A、B大学両大学でナビゲーションを行なったように振る舞ってほしいこと。第三に、それが可能になるよう、入念な情報交換を行なってほしいこと。この段階で被験者は、ペアごとに参加した。話し合いの過程は被験者の承諾のもと、実験者によって録音、録画された。
Stage 3 尋問段階
話し合い段階の約2週間後、「尋問」が行なわれた。男性大学院生PがYとKを、男性大学院生QがOとTの「尋問」を担当した。被験者は1人ずつ、この段階に参加した。すべての被験者は2つの大学でナビゲーション実験に参加したこと、2つの実験で何があったのかを聞き出してほしいことが、PとQに告げられていた。発問方法は各尋問者に委ねられた。被験者には白紙が手渡され、適宜作図を行なってよいとの教示がなされた。尋問中の被験者と尋問者の交渉は、両者の承諾を得た上で、実験者によって録音、録画された。なお実験者は記録活動のみを行ない、被験者、尋問者双方が尋問遂行上の困難を表明したとき以外は、尋問に介入することはなかった。尋問は各大学での体験について約1時間ずつ行なわれた。尋問は約2週間間隔で、合計3回実施された。
以下の結果と考察では、4つのうちの1事例、被験者Yと尋問者Pのコミュニケーションを分析対象とした。
6-2. 第1回尋問の結果と考察
被験者Yと尋問者Pの発話はすべて文字起こしされた。Yの体験はA大学、B大学の順で問われていた。各大学とも、ナビゲーションの開始から終了までを2巡、反復して尋ねる尋問になっていた。質問の構成は表6-1に示す通りである。
Pの質問をOQとCQに分類した。そして各々を、自由な語り(free narrative)を促す「f-Q」、探査の方法を尋ねる「探査Q」、対象の名称や場所、位置を尋ねる「対象Q」、対象の属性や形状を尋ねる「形容Q」、行動や判断の理由を尋ねる「why-Q」、「その他」に分類した。「その他」には記憶の有無を問う「覚えてないですか」や、被験者への指示「この紙に書いてもらえますか」が含まれる。このカテゴリーは考察の本質部分ではないため、以下では扱われない。
両大学とも、第1巡ではf-Qが特徴的である。総じて発問数は少なく、被験者の語りへの制約が少ない発問構造となっている。A大学では様々な問いがなされている一方で、B大学では対象のみが問われている。第2巡にはf-Qがなく、事項を特定して尋ねる傾向が顕著になっている。Yの発話への制約がより強い発問構造と言える。対象Qと形容Qは、両大学間で大きな不均等が見られた。B大学に対しては、対象Qの比重が大きい。
上記のような状況下で、Yは体験をどのように想起したのであろうか。大学間で、体験の語り方に違いは生じたのであろうか。もし生じていたのであれば、その差異は何を意味するのであろうか。両大学に関する尋問コミュニケーション全般を精査した結果、次の点について検討することが有益であると思われた。第一に、探査中の出来事に関するYの発話特性を比較すること。第1巡のf-Qに対する回答、および第2巡の探査Q(OQのみ)に対する回答と、質問タイプにかかわらず自発的に探査について語っている部分が参照される。第二に、大学間に現れた対象Qと形容Qの頻度差、および対象やその属性の語られ方。第三に、why-Qに対する回答、および探査Qへの応答で自発的に行為の理由や動機が語られた部分を参照しながら、自身の行動の理由や動機をYがどのように表現しているか。これら3点について、以下順に考察していく。
表 6-1 第1回尋問の発問構成
[A大学]
第1巡 第2巡
質問タイプ OQ CQ OQ CQ
f-Q 5 5 (4.9%)
探査Q 1 19 8 28 (27.5%)
形容Q 3 17 3 23 (22.5%)
対象Q 1 3 14 17 35 (34.3%)
Why-Q 4 4 (3.9%)
その他 7 7 (6.9%)
9 4 54 35 102 (100.0%)
[B大学]
第1巡 第2巡
質問タイプ OQ CQ OQ CQ
f-Q 2 2 (3.1%)
探査Q 8 6 14 (21.5%)
形容Q 0 (0.0%)
対象Q 6 11 27 44 (67.7%)
Why-Q 2 2 (3.1%)
その他 1 1 1 3 (4.6%)
3 7 22 33 65 (100.0%)
(1) 探査中の出来事に関するYの発話特性
探査行動について自由な回答が促された第1巡の語りを一瞥したところ、大学間に印象的な違いが生じていた。A大学では、Yの探査と移動にまつわる複数種の出来事が入れ替わるように語られていたのに対し、B大学では単一種の出来事が連続して語られているという印象が得られた。この印象を客観的に裏付けるため、探査中の出来事に言及したYの発話を「運動」「対象」「知覚」「認識」の4カテゴリーに分類した。「運動」とはY自身の身体運動、探査行為を指示しており、「廊下に沿って進んだ」「その対象を探そうと見回した」などが属する。「対象」とはYが遭遇した物理的なものの存在や状態への言及である。「図書館を見つけた」「階段があった」などが属する。「知覚」とはYの知覚経験を指示し、「大学の地図を見た」「何人かの学生が喋っていた」などが属する。「認識」とはYの心理状態の特定である。「この先に対象があると知っていた」「右に曲がろうと思った」などが属する。続いて、これらの出来事がPの発問、あるいは探査とは無関係なYの発話に遮断されず、2つ以上連続している部分に注目した。これを「事象連鎖」と呼んでおく。事象連鎖中で隣接する2つの出来事のカテゴリーが同じ(「連続」)か違う(「転換」)かで分類し、第1巡および第2巡の結果を表6-2に示した。
表 6-2 第一回尋問における「連続」と「転換」の頻度
「連続」
A大学 B大学
第1巡 第2巡 第1巡 第2巡
運動→運動 3 13 14 12
認識→認識 1 1
対象→対象 4 4 14 3
知覚→知覚
8 (30.8%) 17 (28.3%) 28 (58.3%) 16 (29.1%)
「転換」
運動→認識 2 4 1 1
→対象 4 9 7 14
→知覚 1 1
認識→運動 2 7 1 8
→対象 1 2 1
→知覚 1
対象→運動 6 6 4 7
→認識 1 3 1 3
→知覚 1 4 2 2
知覚→運動 2 1
→認識 1 2 2 3
→対象 2
18 (69.2%) 43 (71.7%) 20 (41.7%) 39 (70.1%)
第1巡の語りにおいて、A大学では「転換」が優位となり、そのおよその比率は「転換」7割に対して「連続」3割であった。一方B大学では「連続」が優位となり、その比率は6割を占め、「転換」は4割にとどまった。典型的な事例を以下に示そう。いずれも第1巡の冒頭に行なわれた、f-Qに対する回答である。本章以下のすべての発話事例における音声情報とそのテクスト上での表記は、表6-3に示すようになっている。
表 6-3 音声情報とそのテクスト上での表記
(笑) 声をあげてなされる笑いである。文字と隣接して使用された場合、笑いながら発声していることを意味する
一字 空欄 全角一文字文のスペースは、数音節程度の間の表示である
(沈黙xx秒) 一文字スペース以上の無音声に対して、( )内にその持続時間を記載した
・・・ 解読不可能な音声であることを示す
? 文末が上昇イントネーションで、文脈からして明らかに疑問文である場合に用いた
、。 句読点は読みやすさのためだけに使用した。特に音声情報を表示するものではない
[以下略][運動→運動] [ ]内の文言は、引用文に対する分析者の注釈である。
[事例1]
A大学: 「転換」4、「連続」3
最初は正門のところでから始めて、で、カードに書いてある所を探しにいったんですけど[運動→運動]、学内地図みたいなのがあったんで[運動→対象]、それを見て[対象→知覚]で、それに大体教室とかありそうな場所が大体その地図から分かったので[知覚→認識]、それでこの順番で行こうて決めて[認識→認識]、それで中に入って[認識→運動]、中を通って行きました[運動→運動]
B大学: 「転換」2、「連続」8
やっぱり同じように先生とビデオ撮ってる人がいて、後ろついて、最初にまた右側から入って[対象→運動]、そいで図書館に行きました[運動→運動]、で、ここと[運動→運動]、ここと[運動→運動]、ここにいって[運動→運動]、次の教室を探して[運動→運動]、で、事務室見つけて[運動→運動]、で、掲示板と[運動→対象]、門があって[対象→対象]、地図があって[対象→対象]
優勢な「転換」語りは、Yの環境との直接的接触を反映しているように見える。Yと彼女が接触していた環境が、相互に刺激しあっている様が見て取れる。一方、「連続」優位な語りには、このような相互作用のイメージは希薄である。
第2巡でも第1巡と同様の傾向が見られるのであろうか。表6-2を見てみよう。A大学の語りの形式は、やはり「転換」優位であった。また「連続」と「転換」の比率も第1巡とほぼ同じ7:3であった。B大学の語りは第1巡と異なり、A大学と同様の傾向が生じていた。すなわち「転換」優位で、その発生比率は7:3となっていた。「転換」が環境との相互作用の反映であるとすれば、B大学第2巡の語りはYの環境との接触を反映しているのだろうか。もしそうなら、B大学の第1巡で「転換」があまり行使されなかったのは、いかなる理由なのであろうか。B大学の第1巡では「転換」語りに不慣れであったが、第2巡では流暢な行使が可能になったと考えることはできるだろうか。答えは否である。なぜならB大学の想起は、A大学の第1巡、第2巡に続いて行なわれている。もし「転換」語りが慣れを要するのであれば、A大学の第1巡の「転換/連続」比率は、第2巡とは異なるものになっていたであろう。それゆえB大学の第1巡に現れた形式は、B大学に関するYの体験の質自体に帰属される出来事と解するべきであろう。そしてB大学の第1巡から第2巡への変化は、A大学の「転換」語りを借り受けたものと言えるのではないか。この現象を、Bartlett(1932)の用語に倣って、「個人内慣習化」と呼びたい。
(2) 対象Qと形容Qに現れた大学間差異-第1巡における差異-
第1巡において、A大学とB大学の間には、対象Qと形容Qの頻度の不均衡が生じていた。YとPのコミュニケーションを精査してみると、いくつかの理由が明らかになってくる。第一にA大学での3つの形容Qは、Yが直前に自発した対象の形容の確認であった。B大学では対象の形容をYが自発的に行なうことはなかった。すなわちYの自発的な形容の有無が、形容Qの頻度差の原因なのである。B大学では専ら対象は名称、およびYが作画した学内地図上の地点として記述されていた(例「ここが図書室です」「これが生協でした」)。そしてその確認が、Pによる直後の質問で行なわれていた。「対象Q」の頻度がA大学よりB大学の方で高かった理由はここにある。
形容がなく、事物が名称や図の指示としてのみ現れたB大学と対照的に、A大学では、事物は名称とともに形容を付され現れている。さらにPの先行するCQで与えられたものと異なる形容を行なうことがあった。PはCQのなかで、Yが直前に言及した対象を形容することがあった。「新しかった?」のようにである。YはPの形容に同意しつつも、「新しいです。C大と比べるとやっぱり」のように独自の形容を付加していた。3回の形容CQのうち二つでこのような付加が生じていた。もう1回は、Yの逸脱した形容の直後に、その回答をPなりに表現し直した形容を含むCQで、このときYはPの形容に同意しただけであった。反復質問の中でPの形容に同調(tune)していく傾向はあるものの、初発の形容ではYの独自性が発揮されている。
対象の呼称を大学間で比較すると興味深いことがわかる。A大学はB大学に比べると、名称が確定しない指示のされ方をしている事物が存在した。次の事例2を見てほしい。
[事例2]
1 P どんなとこ回ったかって覚えてます?
2 Y んーと あんまり覚えてないんでけど
3 P はい
4 Y 何とか ん いや、む(笑) 何とか室(笑)みたいな感じで
5 P うん
6 Y 教室の番号とか あと んー、あと ・・・ あーよく分かんないん ですけど
7 P うん,覚えてる範囲で全然 構わないんで
8 (沈黙)
9 Y この ん この辺で何か 教室ひとつ(笑)行きました
10 P ん
11 Y んーと 多分 この辺りが えっとー んーと なんでしょう じょ、情報系の
12 P うん
13 Y 教室があっ あったと思うんですけど んー なんかあんまり探すのに必死で(笑)
14 P はいはい
15 Y 周り見てなかったんで
16 P 情報系の教室
17 Y だったと思うんですけど
Yはターゲットに対して、「何とか室」(4行)、「教室」(9行)、「情報系の教室」(11、13行)といった複数の呼称をしたり、教室番号による指示を試みたりしている(6行)。こういった呼称の不安定さはB大学には見られず、「図書館」「事務室」「教室」のように、事物は安定した名称で呼ばれていた。
独自の形容を付され、しばしば曖昧な呼称によって表現されるA大学の事物と、名称としてのみ存在するB大学の事物。前者は多面性を有する環境内の事物、後者は言語としてのみ存在する情報のように思われる。この仮説は、第2巡の語りを分析することでよりいっそう確かになるだろう。
(3) 対象Qと形容Qに現れた大学間差異-第2巡における差異-
第2巡において、形容Qの頻度には大きな大学間格差があった。A大学の17に対し、B大学では形容Qが発せられることはなかった。第2巡で、形容に関する回答をYがしていなかった訳ではない。3箇所で自発的な形容がなされていた。しかしながら、「(事務室は)大きいところだった」「(生協は)窓とかが沢山あって食堂っぽかった」「(生協は)全体(が)食堂みたいな感じ」のように、それらの形容はいささかステレオタイプ的であり、想像を超える環境の存在を認めることは難しい。
A大学第2巡の形容Qへの回答がどのようになされていたか、検討してみよう。回答を4つのタイプに分類した。質問に対して回答がなされた「可能」、全く覚えていない「全不能」、何らかの回答を返すが同時に記憶のなさを表明する「部分不能」、質問の要求と異なることが回答された「他種回答」である。表6-4は、この区別に従って集計された表である。
表 6-4 A大学の第2巡想起における「形容Q」に対する回答種別
可能 全不能 部分不能 他種回答
OQ 7 5 4 1 17
CQ 1 1 1 3
20
形容Qへの回答で注目すべきは、形容の豊富さではなく、その質的側面である。全体の40%を占める「可能」について、まず詳しく見てみよう。7回あったOQへの応答のうち3回と1回のCQにおいて、Y独自の形容が付加されていた。あるOQへの回答が特に興味深いので引用しよう。
[事例3]
1 P じゃあ,この この階段が結構おっきな階段?
2 Y お おっきいですね
3 P どんな感じの?丸っぽいっていうのは?この絵に描いたの覚えてます?
4 Y どんな感じ え んー え、どんな感じ 灰色っぽかったです
Pは階段の形状を尋ねているにもかかわらず(3行)、Yはその色を回答している(4行)。
(4) 行為の動機
Yは、探査中の行動や判断の理由を尋ねられることがあった。この質問、why-Qは、A大学に関して4回、B大学に対して2回見られた。すべて第2巡で発生していた。why-Qによらなくても、行動の動機をYは自発的に語ることがあった。行動の動機を自発的に語っている部分はどの程度あったのだろうか。先の事象連鎖の分析において、「認識→X(運動、対象、知覚、認識)」の連鎖が計量されていた。ここに動機の自発的回答があると期待される。全「認識→X」連鎖から、「認識」が続く出来事の条件となっておらず、両者が独立に隣接している事例を除いたところ、動機はA大学第1巡、第2巡ともに1回ずつ計2回、B大学で順に1回、6回計7回、語られていたことがわかった。B大学に自発的な動機語りが多いことに気づく。
A大学における発話から検討してみよう。A大学についてなされた4回のwhy-Qは全てOQで、そのうち2回ではターゲットの判断理由が問われていた。いずれの問いに対しても、部屋のプレートや廊下にある地図に書かれていた名称が、判断の理由として回答されていた。残る2回では行為の動機が問われていた。このコミュニケーションは興味深いので引用したいと思う。
[事例4]
1 P そこまでは 階段で行ったとか,エレベーターで行ったとか
2 Y 階段で 行きました
3P何で階段を使ったのかとか、覚えてます? [why-OQ]
4 Y え、階段 が 階段が横にあったので(笑) 階段で行ったんですけど
5 P なんか,エレベーターがあったとか言ってたんで [why-OQ]
6 Y ああ エレベーター たぶんエレベーターじゃなくてもいいと思ったので階段でいっ 行ったんだと思います
校舎の上階に移動するとき階段を使用した理由を尋ねられるも(3行)、Yは意外さと困惑をもって回答した(4行)。意外さ、あるいは理由を答える必要に対する困惑は、発話冒頭の「え」や、笑いが付随し、吹き出すように回答されていたことから伺い知れる。この種の回答は通常の動機語りの形式、すなわち内的動機によって語ることの困難に発するものであろう。この回答の直後、PはYが先にエレベーターの存在に言及したことを引き合いに出し、再度回答を求めた(5行)。これに対してYは、内面的な動機を表明している(6行)。ここで注意したいのは、内面的な動機語りは反復質問によって引き出されたこと、そして初発の回答においては、動機は環境へ帰属されていたということである。
続いてB大学における発話を検討してみよう。2回のwhy-Qのうち1回は対象同定の理由を問うものであった。A大学と同じく表示による、そして外見が理由としてあげられていた。対象同定については、両大学を明瞭に区別する証拠は得られなかった。残り1回のwhy-Qでは、校舎の外に出た理由が問われていた。これも引用しよう。
[事例5]
1 P で、どうして外に出たんでしたっけ
2 Y なんか ウロウロして なかったので なんか、最初に 何かがあるのは見えてたんですよ
3 P ああ、はいはい
4 Y それで あ よく分からないけど何か あったからあれかもしれないと思って 出てみたらそうでした
環境内の対象の存在を理由にしている点で、A大学に似ていると思うかも知れない。しかし、Yの行動を惹起したのは環境の事物ではなく、記憶という内面的動機の一種である。さらにこの「何か」の存在は、この時点になって初めて語られたことに注意すべきである。A大学において、このような回想のみに基づく根拠の表明は見られなかった。
自発的な動機語りの多発がB大学の特徴である。6回の自発的回答うちの1回は、A大学に見られたような(事例4を参照)、すでに発見され語られていた対象を理由とした行動の説明であった。残り5回の回答は、環境ではなく記憶や推測が動機として表明されていた。「A大学ではエレベーターの横に地図があったから、またあるのではないかと思って、行った」「多分、事務室は一階だと思って、戻った」「今までのパターンだと、ここに目標物があると思ったから、行った」など、記憶や一般的な知識に基づく推測が行為の根拠にされていた。これはA大学では見られない語りの形式である。
A大学では探査した環境が根拠になるのに対して、B大学では記憶、推測、一般的知識といった内的状態が根拠とされていた。ここまでの動機の分析に加え、「転換」優位な語りと対象形容の多面性の同定ですでに示唆されているように、A大学の語りにはYがナビゲーション中に接触した環境を示す、多くの徴候が現れている。この傾向は、A大学に見られたある語りの形式を指摘することで、さらに強調される。その形式を「行ったら、あった」語りと呼んでおく。探査行動中突如対象(特にターゲット)に遭遇した体験を、笑いとともに表現している語りである。第2巡の探査Qに対する回答として、この形式は4事例現れた。「入って、(笑)ぱっと見たらあったんです」「まあ通路沿いに行ったらありました(笑)」「うろうろしていたら、ありました(笑)」「入ったら、あったんです(笑)」などである。B大学の語りにも、「行ったら、あった」語りに類似した表現が5事例存在した。類似しているとは言うものの、両者には決定的な差異がいくつか存在した。5事例のうち2つは、「最初中にあると思って行ったら、あった」のように、推測が動機になって起動された行為の結果、対象が発見されており、A大学のような偶発的な発見として語られている訳ではなかった。また全5事例には、笑いが付随していなかった。Yが通常の動機語りの困難を何ら感じていなかったことがうかがえる。
(5) 第1回尋問のまとめ-後の分析の枠組み提示-
以上の分析で明らかになったことをまとめ、第2回以降の尋問の分析のための分析枠組みを提示しよう。
ふたつの大学におけるYの体験質の違いは、ふたつの視点に基づいて区別できると思われる。ひとつは環境の存在という視点である。A大学では「転換」語りが一貫して優位であった。この語りは、行為者が環境に取り囲まれながら環境と相互作用している様を表示している。行為の動機は環境内の対象であり、事物との遭遇も行為の偶発的な結果として記述されていた。形容の多様性や安定しない呼称もまた環境の存在を思わせる。他方B大学では、知覚と行為の循環が示唆されない「連続」語りが見られた。探査行為は内的な、時としてよくわからない記憶や推論によって駆動されていた。
もうひとつは語りの「表現制約からの逸脱」という視点である。尋問コミュニケーションの中でYは、Pにも理解可能な言語や他の方法を用いなければならない。CQはより大きな制約を持つ。しかしA大学の語りにおいては、Yはしばしばこれらの制約内で表現することに困難を感じていた。この種の困難は、対象記述に見られたためらいがちで不安定な記述に現れていた。また通常の動機語りに適応できない困難も示されていた。その困難は、「行ったら、あった」語りの笑いに示されていた。一方B大学において、制約からの逸脱はほとんど見られなかった。事物は専ら安定した名称として登場しており、形容の多様性は見られなかった。動機語りにも容易に適応していた。
A大学の語りが制約から逸脱しがちであることを示す証拠として、もうひとつ興味深い事例をあげたい。作画という表現の制約に、Yが適応困難を示した事例である。
[事例6]
1 P これ使っていいって聞いてます?
2 Y あ、聞いてない
3 P 自由に使って下さい なんか絵描いてくれても、なんでも説明しやすいように、使わなきゃいけわけじゃないんですけど、もし言葉で説明しにくいものがあったら好きに描いてくれて構わないです
4 Y はい
5 P 書けって言ってるわけじゃないんで、使いたければ、なんかよく、皆さん地図書いたほうが話しやすいっていうことであれば、書いてくれて構わないし
6 Y えとですね んー んと(沈黙12秒) えと なんか(沈黙23秒) ん (笑) ん(沈黙14秒)
7 P 口で説明したほうがよければ,口でもいいですよ,どっちでも説明しやすい方で
8 Y んと 結構 複雑な 形をしている 大学 だったので 最初 は良くわかんなかったんですけど で よく分かんなくて,ほんとは最初地図みる前に んと はい い、一番 ん どしたのかな、見る前に一度入ったんですけど[以下略]
第1巡の想起の冒頭で、Yが作画を促されたときのことである(1, 3, 5行)。彼女はペンを持ちながら、約1分間、ペンを動かすこともなく沈黙し続けた(6行)。Pが作画は自由であることを強調すると(7行)、彼女は口頭で想起を開始した(8行)。もっとも、これ以降の作画において、Yがこのような抵抗を示すことはなかった。B大学にこのような作画困難は生じなかった。
6-3. 第2回尋問の結果と考察
第2回尋問でYは、最初にA大学について2巡、次いでB大学について1巡の想起を要求された。PとYのコミュニケーションに対して、第1回尋問と同様の分析を、再び施行してみた。環境の存在と語りの制約からの逸脱について、第2回尋問ではどのようなことがわかるだろうか。
(1) 探査中の出来事に関するYの発話特性
発問の全体構造は、表6-5に示す通りであった。
形容Qと対象Qの大学間不均等は、第1回尋問に比べると緩和されていた。形容Qの比率は両大学でほぼ等しくなったが(28.3% vs 29.3%)、対象Qの比率はA大学の方が大きくなっていた(50.5% vs 37.9%)。B大学は1巡しか想起されなかったが、質問の推移は第1回と同様であった。両大学ともf-Qに始まり、細部の質問に移行する流れであった。
「転換」と「連続」を計量した結果は、表6-6に示した通りである。両大学とも「転換」が優勢であり、配分比率はほぼ7:3であった。事象連鎖の語りの形式は平準化していった。これもまた個人内慣習化である。慣習化により、「連続/転換」語りにおいては、両大学の差異は明瞭に判別できなくなった。
表 6-6 第2回尋問における「連続」と「転換」の頻度
「連続」
A大学 B大学
第1巡 第2巡 第1巡
運動→運動 5 4 7
認識→認識 1
対象→対象 3 6
知覚→知覚 1
9 (23.7%) 4 (26.7%) 14 (28.0%)
「転換」
運動→認識 2 2
→対象 5 3 11
→知覚 3
認識→運動 3 9
→対象 1
→知覚 2
対象→運動 5 3 5
→認識 1 6
→知覚 1 3 1
知覚→運動 3 2 1
→認識 3
→対象 1
29 (76.3%) 11 (73.3%) 36 (72.0%)
(2) 対象の形容-多面性と多様性-
第1回尋問と同様、回答を4つのタイプに分類し、結果は表6-7に示した通りとなった。
表 6-7 第2回尋問における「形容Q」に対する回答種別
[A大学]
可能 全不能 部分不能 他種回答
OQ 8 5 3 16
CQ 9 2 1 12
28
[B大学]
可能 全不能 部分不能 他種回答
OQ 8 2 3 13
CQ 3 1 4
17
第1回尋問と異なり、今回はB大学についても多くの形容Qがなされ、A大学よりも優れた回答可能率を示している。それでは回答の質的側面はどうだっただろうか。第1回と同様、CQ形容付加にまず着目してみよう。第2回尋問では両大学ともCQに含まれる内容を超える形容が与えられていた。A大学では9回の「可能」のうち3回で、B大学では3回の「可能」のうち1回で、形容の付加が見られた。比率的には同等であるが、その質はどうであろうか。まずB大学から検討しよう。
[事例7]
1 P でちょっと建物について聞きたいんですけど、これもつながっているように見えた?まあ、こっからは見えないかもしれないんですけど
2 Y すぐ地図を見たので、つながってるなっていうのは分かったんですけど、もうちょっとデコボコしてたと思います
Pの問いに含まれない形容「デコボコ」が付加されている。しかしA大学の形容付加とは質的にも量的にも大きな違いがあった。第一に指摘される点は、A大学にはYと環境との接触を示唆する形容付加が見られたことである。引用しよう。
[事例8]
1 P 地図っていうのは、どれくらいの大きさだったとか覚えてます?
2 Y この机くらいだったと思いますけど
3 P この机くらい。高さとか、自分より上、下とか?
4 Y 見上げてました
Yがターゲットを探すために参照した学内地図について問われている。まずYは地図の大きさを、尋問室の机と比較して語っている(2行)。これはA大学の第1回尋問でも見られた「具体的な対象との比較」による形容である。しかし今回、この種の表現はB大学でもOQに対する回答で一事例見られていた。上の引用で特筆すべきは、4行の発話である。Yが地図に対してとった行為によって、地図の高さが形容されている。B大学においても、対象の形状を示す語彙は数々用いられていたが(例えば「高い」「細長い」)、このように対象とYの行為との関係を示す事例は見られなかった。
第二の違いは、形容の不安定性である。A大学の第1回尋問では、対象の呼称が安定しないという傾向が見られた。この不安定性が、第2回では形容に生じていた。引用しよう。
[事例9]
1 P ここの行ったところって言うのは、どういう風になってるってんですか?
2 Y 1階は、何もない感じでした
3 P 何もない感じ
4 Y 柱だけ立っていて
5 P 柱だけ立っていた
6 Y 柱は立っていたと思います。なんかあったかな。(しばらく沈黙)なにもない感じだったんですけど、階段が、なんでしょう、なんか、少し大きい感じの階段があって
7 P うん。どの辺にあったとか?
8 Y ここが四角いフロアだとしたら、真中あたりから、なんかにゅって感じで
9 P にゅって
10Y なんでしょう、曲がってたんですよ、ここも
11P 曲がってた
12Y 曲がってたと思うんですけど
13P えっと、ここ横に曲がってるっていうことですか?たぶんにゅっていう感じが出てこないのかもしれないですけど
14Y 螺旋階段の
15P あ、はいはい
16Y 螺旋になりきってない感じの、なんでしょう、曲がってたと思うんですけど
17P 階段はいくつ
18Y でも真直ぐだったかもしれない
19P でもなんかそんな感じに見えたていう?
20Y 見えたんです
Yは以前語られることのなかった階段に言及し(6行)、その形状を語っている(8、10、 12行)。その確認をPが行なったが(13行)、これに対してYはより具体的な形容を付加しているが、Yの形容は安定しない。「螺旋階段の螺旋になりきっていない」(14、16行)、「曲がっていたと思う」(16行)、「真直ぐだったかもしれない」(18行)のようにである。しかしYはそのように見えたことを主張した(20行)。B大学では、確信のない形容がなされることはあったが、このような不安定性は現れなかった。
A大学にはB大学にはない特徴的なコミュニケーションが見いだされた。それはPとYが対象の属性を語るときに現れた。Yが語った対象の属性を、Pが尋ね直したり、反復したりすることがある。B大学においても、Pによる確認や反復がなされることはあるが、Yがすぐさま同意するか、記憶のなさを表明して、ひとつの対象をめぐるコミュニケーションはただちに終結してしまう。それに対しA大学においては、YはPの記述に続いてしばしば異なる属性を付加していく。上の事例9はまさにその一例である。Yが到達した地点の見えを尋ねたPに対して(1行)、YはPの反復に続いて、次々にその場所の属性を付加している(2、4、6行)。第1回尋問の「大きな階段」(事例3)をめぐるコミュニケーションも同様の事例であった。この「階段」をめぐる第2回尋問のコミュニケーションには、対象の多面性に加え形容の不安定性も含まれていた。引用しよう。
[事例10]
1 P はい。いろいろ聞いちゃうんですけど、石段でしたっけ、階段?
2 Y 階段です
3 P その辺りの、こう、何があったかとか、どんな感じだったとかありますか?
4 Y どんな感じ。大きい階段だったんですけど
5 P うん、大きい階段
6 Y うんと、真直ぐじゃなくて、扇型だったと思うんですけど
7 P 扇形
8 Y 違うかも知れません。大きくて、曲がった形だったんですけど
9 P 曲がった形
10Y で、ですね。それくらいしか覚えてないです
11P そのぐらい
「大きい」(4行)、「扇形」(6行)と対象の異なる側面が言及されていく。Yの形容は「扇形」(6行)、「曲がった形」(8行)と安定しない。漸次あらわにされる事物の多面性と安定しない多様な形容表現は、言語に回収し難い環境をYが記述しているように思われる。他方、多面性に乏しく、固定的な形容しかなされないB大学の事物は、環境内の存在というよりは言語的な存在に見える。
第1回で見られた事物の呼称の大学間差異は、第2回尋問でも存続していた。B大学の事物は常に固定的な名称で指示され、A大学の事物呼称には不安定性が存続していた。ある部屋は「教室」あるいは「何とか室」と呼ばれた(第1巡)。生協を示す表示は「看板」あるいは「ポスターか、何かそういうもの」と表現された(第2巡)。
(3) 行為の動機
第2回尋問でもYは、探査中の行動や判断の理由を尋ねられたり、自発的に行為の動機を語ることがあった。A大学では5回、B大学では2回のwhy-Qがなされていた。「認識→X」連鎖はA大学で3事例、B大学で9事例存在した。このうち第1回尋問と同様、「認識」が動機とみなし得るものは、順に2事例、4事例であった。
A大学から検討してみよう。5回のwhy-Qはすべて、ターゲット特定の理由を問うものであった。3事例では地図や看板といった探査中に見えたものが、判断の理由として回答されていた。1事例では、ターゲットが建物の5階あたりにあったと特定した理由が問われていた。このときのYの判断は、「建物が結構高くて、で、真ん中よりもちょっと上あたりだったと」のように、根拠のはっきりしないものであった。残る一事例は興味深い。引用しよう。
[事例11]
1 Y で、こんな感じに教室が並んでたと思うんですけど
2 P これ、これ全部が教室ていうこと? で、この辺りって何階だったとか覚えてますか?
3 Y これは1階でした
4 P 1階
5 Y これは3階でした
6 P 3階。3階なのを覚えてるのは何か、こう [why-Q]
7 Y 階段登ったから
いくつかの教室を自作の地図上で指示しつつ、その所在階をYは特定している(1、3、5行)。ひとつの教室が3階にあったと特定した理由を聞かれたYは(6行)、自らの行為を根拠としてその正しさを主張している(7行)。事例8でも示唆されたように、ここにも環境と接触するYの身体を見ることができよう。ただし第1回尋問のように環境との出会いを契機として行為が語られることはなかった。また2回あった自発的な動機語りは両方とも「ターゲットの場所が分からなかったので、外へ出た」という形式であった。
続いてB大学について検討しよう。2回のwhy-Qはいずれもターゲットの特定理由を尋ねるものであった。A大学と同様、掲示物や配布物といったターゲットの近くで見えたものが、判断の理由として回答されていた。4回あった自発的な動機語りは、第1回尋問で見られた特徴が存続していた。すなわち、行為の理由として推測や薄弱な根拠が用いられるという特徴である。「エレベーターのところに地図があると思って、行ってみた」「上か下に行かなくちゃいけないと思ったから、行ってみた」「入り口付近にあると思って、行ってみた」「食べ物系にちょっと関係なさそうな教室ばっかりだったので、たぶんこれは、生協にあるのではないかと思って、行ってみた」。いずれも、それまで語られた内容からつながりのない、Yの内面に突如浮かんだ動機である。対象との偶発的出会いを示す語り(「行ったら、あった」語り)は発生しなかった。
(4) 慣習化-個人内と個人間-
第2回尋問のひとつの特徴は、反復想起のなかで進行した慣習化である。慣習化を通じて、語りの形式は平準化してゆく。すでに「連続/転換」語りと、「運動→対象」連鎖に生じた個人内慣習化を指摘した。それ以外にも、コミュニケーション内で使用された語やフレーズにおいても慣習化が生じていた。慣習化は2つを区別できる。すなわち個人内で生じるものと個人間で生じるものを、である。Bartlett(1932)が反復再生法の実験で示したものが個人内慣習化、系列再生法の実験で示したものが個人間慣習化である。本実験でも両タイプの慣習化が生じた。ここで慣習化について考察することが重要である。なぜなら、本実験が2つの体験の違いを、想起発話とコミュニケーションの形式によって見いだそうとしているからである。そして慣習化が、このような差異を検知しにくくするからである。
B大学の想起は、初期に見られた「連続」優位な語りから、じきにA大学と同じ「転換」優位な語りへと変化した。しかも、連続と比率の配分さえほぼ同様になっていた。またA大学に特異的だった「行ったら、あった」語りは消失し、「運動→対象」連鎖の語りは大学間で類似したものとなった。第2回尋問の時点で、この2点によっては体験質の差異を判別することは困難となっている。さらに、表現の引用が生じていた。第1回尋問のA大学で使われた事物の曖昧な呼称が、第2回尋問のB大学の語りにおいて借用されていた。たとえば、B大学のある教室の表現に「何とか室」が用いられていた。
この個人内慣習化とともに深刻なのは、PとYの間で生じる個人間慣習化である。これは、A大学の特徴である事物の曖昧な呼称や、不安定な形容において生じていた。PはYがかつて用いた呼称や形容をCQで用いるようになっていた。「その次は情報系の教室ですか」(A大学第1回第2巡)、「ここが何とか室らしきものですか」(A大学第2回第1巡)、「にゅっていう感じで曲がっているんですか」(A大学第2回第2巡)などである。Yの特異な表現をCQにおいてPが使用すれば、YはPに同意する傾向が強くなり、大学間の語りの違いが見えにくくなるだろう。さらに深刻なのは、A大学に特徴的なYの語りを引用した発問を、B大学の尋問時にPが行なっていたことである。「じゃあ、たまたま乗ったらあったっていう?」というCQである。これは明らかに「行ったら、あった」語りの借用である。このような慣習化によって両大学間の語りの差異が見えにくくなる傾向は、続く第3回尋問でも指摘される。
(5) 第2回尋問のまとめ
第1回尋問時に提起された分析枠組みは、第2回尋問の分析でも有用であった。環境の存在は、事物と身体の接触を示唆する発話、形容の多様さと不安定さ、事物の多面的な記述によって、A大学の語りにおいて強く示された。一方B大学の語りは、これらの特徴を有しない、環境の存在が希薄な語りであった。行為の根拠薄弱な内的動機にも、環境の存在は希薄である。A大学における形容の不安定さはまた、対象の言語表現の困難でもある。Yが自身の経験を記述する際、聞き手であるPと共通した表現を用いることに困難が示されているからである。第1回尋問で見られたA大学の語りの特徴が、第2回尋問では、個人内・個人間2種の慣習化によって希薄になる傾向が見られた。
6-4. 第3回尋問の結果と考察
第3回尋問でYは、最初にB大学次いでA大学について想起を要求された。前者については2巡、後者については1巡の想起がなされた。想起する大学の順序は、第1回、第2回とは逆となった。PとYのコミュニケーションに対して、第1回、第2回尋問と同様の分析を、再び施行してみた。環境の存在と語りの制約からの逸脱について、第3回尋問ではどのようなことがわかるだろうか。
(1) 探査中の出来事に関するYの発話特性
発問の全体構造は、表6-8に示す通りであった。
表 6-8 第3回尋問における発問構成
[A大学]
第1巡
質問タイプ OQ CQ
f-Q 1 1 (2.6%)
探査Q 11 1 12 (30.8%)
形容Q 5 2 7 (17.9%)
対象Q 9 3 12 (30.8%)
Why-Q 6 6 (15.4%)
その他 1 1 (2.6%)
32 7 39 (1000.1%)
[B大学]
第1巡 第2巡
質問タイプ OQ CQ OQ CQ
f-Q 1 1 (0.9%)
探査Q 19 3 22 (19.0%)
形容Q 14 6 20 (17.2%)
対象Q 4 28 23 55 (47.4%)
Why-Q 11 1 12 (10.3%)
その他 6 6 (5.2%)
5 0 73 39 116 (100.1%)
形容Qの比率は第2回尋問と同様、両大学間でほとんど差がなかった(17.7% vs 17.2%)。対象Qの比率はB大学の方が大きかった(30.8% vs 47.4%)。これらの傾向は第2回尋問と同じであった。A大学は1巡しか想起されなかったが、f-Qから細部の質問に移行する流れは第1回、第2回と同様で、f-Qから始まって、詳細な問いに移行する流れであった。
第1回尋問と同様に「転換」と「連続」を計量した。結果は表6-9に示した通りである。両大学とも「転換」が優勢であり、比率配分も両大学でほぼ一致し、約7:3の比率が第1回尋問第2巡以降続いている。事象連鎖の語りの形式は慣習化が完遂し、第3回尋問でも「連続/転換」語りによって両大学の差異を判別することは難しかった。
表 6-9 第3回尋問における「連続」と「転換」の頻度
「連続」
A大学 B大学
第1巡 第1巡 第2巡
運動→運動 8 6 1
認識→認識 2 4
対象→対象 2 4
知覚→知覚
12 (26.1%) 6 (25.0%) 9 (20.1%)
「転換」
運動→認識 1 1 3
→対象 9 5 10
→知覚 1
認識→運動 6 3 6
→対象 2 1
→知覚 1
対象→運動 6 3 8
→認識 4 1 2
→知覚 2 2 1
知覚→運動 1
→認識 2 2
→対象 1 2
34 (74.0%) 18 (75.0%) 34 (79.1%)
(2) 対象の形容、呼称
第2回尋問では、B大学にA大学とほぼ同率の形容Qがなされ、かつより高い回答可能率が得られたが、回答の質的側面には大きな違いがあった。この傾向は、第3回尋問でも維持されているのだろうか。第1回、第2回尋問と同様、4つのタイプに分類した回答は、表6-10に示した通りである。
表 6-10 第3回尋問における「形容Q」に対する回答種別
[A大学]
可能 全不能 部分可能 他種回答
OQ 3 1 1 5
CQ 2 2
7
[B大学]
可能 全不能 部分不能 他種回答
OQ 10 1 3 14
CQ 3 1 2 6
20
「可能」比率は両大学間で同等であった。第1回、第2回尋問と同様、まずCQへの形容付加に注目してみたい。A大学では2回の「可能」のうち1回で、B大学では3回のうち1回で、CQの内容を越える形容が与えられていた。まずB大学から検討しよう。
[事例12]
1 P 誰でも(見るような)っていうのは、この大学にいる人なら誰でもっていう?
2 Y そんな感じです。なんかわりと大きめで、大きめの
確かに形容が付加されているが、その内容は第1回がそうであったように、ステレオタイプ的である。一方A大学はどうであったろうか。
[事例13]
1 P えっと、これについて何か覚えていることありますか? どんなものだったとかって
2 Y これは屋根がついてました。屋根 がついてました
3 P 屋根だけっていう感じ?
4 Y 屋根だけ。柱もありました
5 P 普通の外に屋根だけついている感じ?
6 Y はい
Yの回答(2行)に続けて、OPによるCQがなされ(3行)、Yは対象の属性を付加している(4行)。B大学の回答ほど陳腐ではないが、第2回尋問で見られたような劇的な差を、両大学間に認めることは今回はできなかった。また前回A大学に顕著であった形容の多様性、不安定性も見られなかった。このひとつの原因は、個人間慣習化にあると思われる。PがA大学で他に覚えていることはないかと尋ねたとき、Yは「階段」について語ろうとした。しかしPは「前回聞いたので、それはまぁ、ぐにゅっていうやつですよね」とYの発言に介入するとともに、第2回尋問におけるYの発話を引用した形容を行なった。
前2回の尋問でA大学の対象になされた曖昧な呼称が、B大学の想起でしばしば用いられていた。Y自身による引用とともに、Pが発問の中で引用することもあった。たとえば「何とか室」(B大学第1巡、第2巡)「何とか掲示板」(B大学第1巡)「番号の教室」(B大学第2巡)という呼称がYによって、そしてそれらを含んだ発問がPによってなされていた。このようなプロセスによって対象の記述が均質になっていき、大学間の差異はますます希薄になっていった。
(3) 行為の動機
前2回の尋問と同様、第3回尋問でもYは、探査中の行動や判断の理由を尋ねられたり、自発的に行為の動機を語ることがあった。A大学では6回、B大学では12回のwhy-Qがなされていた。A大学の6回中5回が対象同定に関するもの、1回が行為の動機に関するものであった。B大学の12回中1回はCQで、直前の行為の動機を尋ねる質問の確認であった。残る11回のOQ中8回は対象同定に関するもの、3回は行為の動機に関するものであった。対象同定の理由としては、A大学、B大学ともにターゲットに付いている教室番号や掲示物などが回答され、両大学を区別する違いは見られなかった。
A大学の行為の動機は環境を示唆するものであった。「どうしてそちらの道を選んだのか」という問いに対して、Yは「そちら側にしか道がなかったので」と回答した。B大学では1事例が環境を示唆する語りであった。ターゲットであるゲートからある方向に移動した理由を聞かれたYは、建物の形がその方向に続いていたからと回答した。残る2事例には、これまでのセッションと同様の内的な動機および記憶と推測に基づく理由が語られていた。
「認識→X」連鎖はA大学で10事例、B大学で15事例存在した(表6-8参照)。このうち「認識」が動機とみなし得るものは、順に2事例、6事例であった。A大学の2事例における動機は、これまでB大学に顕著に見られたものと類似していた。すなわち内的な動機や推測に基づく語りとなっていた。B大学の6事例における動機は、これまでと同様の内的動機やしばしば根拠不明な推測に基づくものであった。
(4) 第3回尋問のまとめ
第1回、第2回尋問で顕著であった、A大学の環境の存在を示唆する語りは、第3回尋問ではより希薄になっていた。事物と身体の接触を示唆する発話、形容の多様さと不安定さ、事物の多面的な記述は現れてはいたが、B大学との違いは第2回尋問までと比べると明瞭ではなかった。動機の語りでもまた、大学間差異は希薄になる傾向があったが、それでもなお存続していた。
第2回尋問からさらに進んで、各大学を特徴づける語りがもう一方の大学の語りに現れるようになっていた。この傾向、個人内慣習化は、第2回尋問以来着々と進行してきた。たとえば、曖昧な呼称がB大学の語りにも現れたり、内的な動機がA大学でも現れたりした。このような個人内慣習化に加えて、個人間慣習化もまた進行していた。Pは、A大学に特有なYの表現をCQに含めて発問したり、Yの回答を予期してYの想起を抑制したりしていた。2つの慣習化によって、大学間の語りの差異はより見えにくくなった。
6-5. 全体的考察-スキーマアプローチの妥当性について-
2つの大学をめぐるYとPの想起コミュニケーションから、次のような結論が引き出せよう。A大学の語りは環境と行為の相互作用に依拠し、B大学の語りは環境以外のもの、特に言語情報や知識、あるいは語りの型(動機語りなど)を駆使して構成されたもの、あるいはされざるを得なかったものであることが強く推認される。事実、Yがナビゲーションを体験したのはA大学であり、B大学に関する情報はこの大学を探査した被験者Oから伝聞したものであった。想起の形式によって体験質を問うこと、少なくとも実体験と伝聞による疑似体験の弁別が可能であることが、今回の実験によって示された。ただし、体験を異にする想起の差異は、想起の反復とともに生じる個人内と個人間の2つの慣習化によって、徐々に希薄になっていく。
足利事件と同様、被験者Yの体験質を想起の形式によって区別できることが明らかとなった。2つの体験質、実体験と伝聞体験は、まず語りの文体の差異によって区別することができた。すなわち、「交代語り」「連続語り」のどちらが優位であるかによってである。この文体はYの発話から抽出されたものであるが、足利事件のS氏のものとは異なる形式であった。文体の形で安定的に抽出される特徴がある一方で、Yの実体験語りは、数々の不安定さに彩られていた。対象の形容や呼称、尋問者とのぎこちないコミュニケーション、指定された方法(描画)による想起の困難などである。対照的に伝聞語りは、始終それらの点において安定していた。語りやコミュニケーションの不安定さによって体験質が判別できることは、今回の実験で初めて示された。この不安定さは、想起の反復によって漸進的に消失して行く。不安定から安定へという過程をたどる実体験語りと、始終安定した伝聞語りという対比を見ることができた。体験質は想起の発達、すなわち微視発生プロセス(microgenesis)によっても判別可能であることが示された。浜田の供述分析にとって供述変遷は、虚偽供述を発見する重要な徴候であった。また法曹三者の経験則は、一貫性のある語りこそ信用に足るとの見解を示していた。しかし本実験で明らかになったのは、実体験語りにこそ変遷が見られるということであった。
スキーマアプローチでは、想起者の体験の有無、あるいは体験質の違いが、想起発話および想起コミュニケーションの形式によって判別できると考えられた。そして体験を区別する徴候は、個人特異的であると想定されていた。今回の実験研究は、これらの主張を支持するものであった。
引用文献
Bartlett, F. C. (1932). Remembering: A study in experimental and social psychology. Cambridge: Cambridge University Press.
Mori, N. (2008). Styles of remembering and types of experience: An experimental investigation of reconstructive memory. Integrative Psychological and Behavioral Science, 42, 291-314.